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【(一人)会読・読書ノート】生物から見た世界/ヤーコブ・フォン・ユクスキュル,ゲオルク・クリサート(著).日高敏隆,野田保之(訳)/思索社【第一部・序論】

はじめに

この本(生物から見た世界/ユクスキュル)は、大変素晴らしい本だと思うのですが、私の力が及ばず、現状、私はきちんとした深い読みができていません。理解を深めるために、一人会読を始めていこうと思います。「インターネットを使えるなら、一人会読の要約(レジュメ)はぜひともネット上に公開すべきだ(独学大全・p192)」の言葉に基いて、こちらにアップしていきます。ご示唆・ツッコミは大歓迎です。

(後半のあたりは、素のテンションになっており、大変お見苦しいかとは思いますが、ちょっとこう……自分としても「きちんとした形に書き直す」のが難しいので、このまま行かせていただきます……すみません……)

(レジュメ作成には、昭和48年6月30日に思索社から発行された版を用いています。現在岩波文庫から出ている新版とは、ページ数や訳語が異なる、第二部やアドルフ・ポルトマンによる解説が存在する、等の差異があります)

 

 

第一部
〈序論〉
【要約】
生物が主体をもつのか、それとも客体でしかないのかは、重要な問題である。生理学者は、あらゆる生き物は主体を持たない物体でしかなく、ただただ器官がそのように反応し、反射しているにすぎないと見なしている。一方で、生物学者は、生物に主体は「ある」と見ている。生物の活動には「刺激」の受け手であり、それを統括する「主体」が存在すると考えている。

筆者(ユクスキュル)は、後者に与する立場として、本書を書いている。筆者はさらに、細胞の一つ一つに主体があり、動物全体の主体を形成している、と推察している(※このあたりから、生物の中の動物を対象として話が進んでいく)。この章では、ダニを例として、動物の主体としてのふるまい、知覚と作用について説明している。

ダニは、その生息地に哺乳類が通りがかると、吸血を行う。この時ダニは、環境にある他の要素のいっさいを無視して、ただ哺乳類の皮膚の発する、酪酸の匂いだけを手がかりに吸血行動を行っている。この場合、酪酸の化学的な刺激が重要なのではない。「哺乳類の皮膚が発している、何百という手がかりの中から、ただそれだけをダニが選び出している」ということが重要なのである。そして、また同時に「なぜ『酪酸』だけが重要で、他のものはそうでないのか」という問いも生まれる。

ダニの環境世界を考えると、豊かな世界の中から、乏しい知覚標識しか存在していない、みすぼらしい世界のように思える。しかし、この単純さこそが、行動の確実性を保障している。生物(動物)のこの行動の確実性の方が、多様で多彩な世界を知覚することより、生存においてははるかに重要である。

また、ダニは、さらに重要な知見を我々にもたらしてくれる。ダニはその摂食のスタイルから、哺乳類が通りがからない時期も生き続ける構造になっている。すなわち、長期間絶食していたとしても、生命を維持できるような身体のつくりになっている。実際に、ロストックの動物学研究室には、絶食して18年になるダニが存在している。

時間が「経った」という感覚が「変化」を知覚することによって起こることから、このダニにとっては18年間世界は静止し続けており、次に酪酸の刺激が生じた瞬間から時間が動きはじめると考えられる。したがって、ダニの主観としては、この18年はおそらく「一瞬」となる。

これまでは、客観的な軸としての「時間」が存在しており、時間がないと生物も存在しえない、と考えられてきた。しかし、上記の結果からは、むしろ生物が観測しないと「時間」は存在しないのだ、ということができる。これは、空間についても同じことが言える、と筆者は考えている(空間についての論は、次章以降で展開する)。生命がなければ空間も時間も存在しない、ということから、生物学はカントの学説と結びついているといえる。

【こう解釈した】

・「主体」と「客体」について

本文中に何度も繰り返して出てくる単語ではあるけれど、何を表しているのかが今ひとつ掴みかねている。文意からすると、「主体」の表すところは、おそらく「意志」「魂」「知性」などではない。「意識」が、近そうでありながら、思いっきり的が外れているような印象。「統御機構(の中枢)」みたいな感じなんかな…なにか、こう、あまり、「主観」とかが乗っていない、生命活動を統御しているニュートラルな働きそのものを指している概念に思える。「客体」はさらにわからない。客体=機械でいいのか?

・(知覚/作用)「標識」について

知覚、作用はそれぞれ意味が分かるのだが、「標識」がきちんと分かっていない。本文P18で唐突に「知覚標識」が出てくる。レセプターみたいなものを想定すればいいのか?でもそうなってくると、P19の「こうしてこれらの筋肉によって作用をはじめた実行器は、主体の外に置かれた客体にその『作用標識(Wirkmal)』を刻みつけるのである」が、おかしな解釈になってしまう。同ページの、「動物は一つの腕によって客体に知覚標識を、もう一つの腕によって作用標識を与えているのである」(※この「腕」は比喩表現)からすると、「知覚標識=その動物にとって、対象物を利用できるようになるための手がかりとなる、対象物の物質・刺激(音や光など)・反応(行動など)の特徴」、「作用標識=その動物が、対象物を利用したことによって生じた物質・刺激・反応」ということになるのだろうか?ただそうなると、後述の話がさらに分からなくなってくるが……

・「すなわち、作用標識は知覚標識を拭い取るのである」(P19)について

はい分からないー!なにも分からないー!すなわってないよう……対象物になにか作用してしまったら、それは変化するでしょう?という話なのか?それとも、作用してしまったらその刺激(知覚)は不必要だから、動物の中でリセットされるでしょ?という話なのか?

・「すべての生物主体の行為の一つ一つのプロセスにとって決定的なのは、受容器が発した刺激を選ぶことと、実行器に一定の活動の可能性を与える筋肉の配置と並んで、何よりもまず、その知覚信号の助けを借りて、環境世界の客体に知覚標識を印す知覚細胞の配置と数とであり、またその作用信号によって、同じ客体に作用標識を付加する作用細胞の数と配置なのである」(P19-20)

なっがい!一文が超長い!春琴抄かっ!(※大好きです)「環境世界の客体に知覚標識を印す知覚細胞の配置と数とであり」のくだりが特に分かんないな…なんでそれが「行動のプロセスにとって決定的なのか」もわからん…「配置と数」が大事……ちょっとどういう事を想定しての発言なのかが分からない……

【感想】
・この時代は、「生理学者」と「生物学者」が別カテゴリ(現代だと、生物学者の中に生理学者が内包されている…的なのがあるような気がするのだけれど)、という点が面白い(P14-15)

・なんか「ダニは機械か機関士か?」というような話がよく出てきていて……生物機械論??デカルト???あってる???実はこの章のさらに前にある「はじめに」でも、生物の機械論は間違っているんじゃないか的なお話はしていた。この辺の理解には、哲学の本の到着を待たねばなりますまい……(P14)

・「シンプルで単純な機構の生物のこと、『下等生物』とか言うだろ?いやいやいや、でもシンプルなのって、行動の『まぎれ』がないから、生存性能的にはめっちゃ高いんだぜ……?」的なこの考え方、好きだな……そう、戦略や方法がシンプルなのは、それだけ無駄なく洗練されていて強い、という事でもあると思うんよね……(P22)

・来たよ来たよ!「動物によって、『時間』の概念……というか、価値?捉え方?スケール?違うよね」って話!!こういうのがね!こういうのがほんと好き!!てかこの時代に、もうここまで想定できていたんだ、というのが、何よりの驚き!(P23)

・このユクスキュルの「生物から見た世界」、生物学(そして哲学)の文脈で語られることが多いのだけれど……ユクスキュル自身は「物理学(的見解)」とかもかなり意識していない?あと「認知」とかもかなり気にして表現している印象をうける……(P23-24)

・「カントの学説」……分かりたいなあ……(P24)

・【要約】を書くときには、はしょらざるを得なかったけれど、動物の行動観察のまなざしや筆致がむっちゃ丁寧ですごくいい……好き……